好きな音楽の話 【the prodigy】
はじめに
これまでの人生、ピアノを弾いてたり、バンドをやったりと音楽が好きな部類の人間なので音楽のことも書きたいと思う。
ただ、音楽に限らず、映画でもなんでも感想を言うのが結構下手で、かっけー、おもしれー、ださい、つまんないくらいしかぱっと出てこないので、なかなか勝手がわからない。そこのとこの改善も含め、これから定期的に書いていきたい。
the prodigy
(なかなか変な見た目をしている。僕は化粧しているバンドを好きになりがちだ。)
ザ・プロディジー(The Prodigy)は、イギリスのテクノ / エレクトロロック・バンド。
1980年代末期のレイヴカルチャーをその出身基盤にもち、ロックとテクノの積極的な融合を試みることで、その先駆者として既存の電子音楽の持つ可能性を大きく押し広げた[要出典]。特に、世界的なヒットを記録した3rdアルバム『ザ・ファット・オブ・ザ・ランド』は、1990年代におけるダンス・ミュージックの到達点、金字塔と評される[要出典]。
こういうところをwikipediaに頼るのがよくないのかもしれない。
the prodigyは2年前くらいにハマったバンド。
今度書くとおもうけど、これとは別にBOOM BOOM SATELLITESというエレクトロ寄りのバンドが好きになって、その流れで知ったんだと思う、たしか。もしかしたらこっちが先かもしれない。
この頃から未来感、SFっぽい退廃感を覚える曲が好きな傾向にある。個人的な感覚なので、どういう感じかあまり伝わってないとおもうけども。
まあ、まずどんな曲かはyoutubeをみて確認してほしい。
久しぶりにマトリックスを見返して気づいたのだが、この曲は劇中で使われてたりする。とはいっても、マトリックス内(1999年頃を再現した仮想現実世界)のクラブで流れただけだから、僕の言うSF感とは関係なく当時のクラブシーンで流行ってたものを使ってたにすぎないと思う。
ちなむと、ウォシャウスキー姉妹はテーマ曲にもなってるRage against the machineのwake upを聴きながら脚本を書いたらしい。
僕のいう「SFっぽい退廃感」をもっと言語化できたらよいのだが、いまいちまだうまく説明できない。電子音、無機質な感じ、夜に聴きたい、都会で聴きたい、そういう要素があるとは思う。
そして、これはcrossfaithによるthe prodigyの曲のカバーなのだが、prodigyは愚かカバー曲であることすら知らずに結構前から聞いていた。
カバーではメタルコアにアレンジされている。全体的に音がモダンになっていて、かっこいい。
それを聞いた後でも原曲は、音が古臭くてダサいということもない。
オリジナル
誕生日の宣伝
友達の誕生日、覚えてます?
正直僕は、全然覚えてないです。人には俺の誕生日覚えろと言うけど。
最も仲の良い部類の友達でさえも覚えていないし、親父の誕生日は24日か26日かいつも迷います。僕は薄情な人間なのだろうか。
でも今の世の中便利なもんで、フェイスブックは毎日誰かの誕生日を宣伝してくれるし、ツイッターは風船を飛ばしてくれる。それが鬱陶しいときもあるけど、役立つこともある。
誕生日とSNSといえば、タイムラインやグループラインで繰り広げられるおめでとうとありがとうの応酬が思い出される。
少し感じの悪いことを言えば、大人数のグループラインでのそれは、だるい。
通知はしばらく止まないし、祝うほど仲が良いという人間ばかりではない。
スルーや定型文での返事も感じが悪いしな。
なんだか祝わされてる感、祝わせてしまってる感強すぎないだろうか?
あれを言い出しっぺの自己満足と考えるのは、捻くれすぎか。
本来誕生日を祝ってもらうことは、うれしいはずなのに。
まあネガ寄りな内容はおいといて、女の子からおめでとうの個人ライン来た時なんてとてもうれしい。にやけちゃうよ。
もう一回言うけど、祝ってもらうのはうれしいことなんだよ、そう本来。
男の場合もうれしい、もちろん。ただそこには「暑苦しいな」「水くせーな」「こいつそんなキャラだっけ?」「ちょっときもいな」といった感想が混じる場合も多い。
男同士でディズニーランド行くみたいな、そういう感じ。わかっていただけるか。
そうはいっても、ぼくは女にだけ誕生日を祝うほど、下心だけで生きてはいない。
前述の通り、そもそも他人の誕生日覚えないけど、思い出した場合にはおめでとうの意は示したい所存である。でもやっぱり、こいつに個人的に連絡して祝うのは違くね?という男もいる。
なのでたまに、そういう男の誕生日は女の子に宣伝している。
もしかしたら、その女の子が個人的にそいつを祝ってくれるかもしれない。
そうしたらそいつも男に祝われるより気分いいでしょうと踏んでる。
男はスケべだし。
8月32日へ
最初に断っておくと、「ぼくのなつやすみ」をやったことはない。
9月1日にありがちなタイトルだと思う、絶対毎年何人かポストしてるでしょ。
大学時代は、人生の夏休みと言われがちである。
そして、もう僕は一応人生の夏休みが終わってしまった身分だ。
一応というのも、僕は大学院生なのだ。
大学院生といえば、日夜研究に励み、ラボに泊まり込みなんてザラというイメージってないですか。僕は、昔そんなイメージをもってました。なんかドラマとかであるじゃん?Twitterとかで忙し自慢みたいのもみるし。
だけどもだけど、僕はそんなイメージとはかけ離れた大学院生で、割と暇な部類に属している。日夜励んでないし、泊まるのなんてほぼほぼない。そもそも行かない日めっちゃある。
弁明しとけば、それなりに忙しい時期もあったっちゃあったし、冬は少し辛い思いをすると思う。明日学会発表あるし!
(余談だけど、テレビでたまに学生にインタビューすると、研究題目とか言ってひな壇の芸能人がうわーなんかむずかしそーみたいな反応するけど、僕はきっと研究題目すらビシッと決められないわ。かなしーね)
忙しいことを望んでいたわけではないが、存外暇な大学院生になってしまっている今、
8月32日を過ごしているような感覚がある。多少こじつけた感じもある。
まあ何にせよ所定の期間で夏休みを終えた多くの同級生たちよりも社会への投降(うまい!)を遅らせている現状である。
修士2年なので33日を過ごしているとすると、ゲームになぞれば36日まで、あと3年までは人生的にセーフなのかもしれない。
夏休みは最後まで諦めないがポリシー、なんとかしたいな。
あと3年といえば博士課程も3年だが、行く気もないし行けもしないだろう。
あー夏休み。断っておくと、TUBEもちゃんと聴いたことはない。
魂のクオリティが下がっている話。
今回は魂のクオリティの話だ。
個人的、または世間一般的にあんまりよくない行いをしてしまったときや非常に怠惰であるときに後悔や自己嫌悪、罪悪感を覚えることを「魂のクオリティが下がる」と俺は呼んでいる。
(こういう自分の中だけの少しバカっぽい慣用表現?を作るのが好きで、他には歯茎から血が出るくらい強めに歯磨きすることを「歯茎を蹂躙する」とか呼んでたりする。)
例えば、タバコ吸いながらパチンコ打ってみたりすると、
「うわあ、今おれクソみたいにうるさくて臭い場所でかすみたいな賭け事にお金使って、その上肺を汚している!ああ、今俺、魂のクオリティさがってんなぁ...」
と感じるのだ。
そこで儲けた金で風俗なんて行った日には、魂のクオリティは下がりに下がるでしょう。もちろん、負けて大損こいたときも下がる。
僕は元がワルになれない臆病な良い子なので飽くまで賭け事とか風俗に行くのは世間的にあんまりよくないことだと一応心得ているのだ。
こういう遊びは俺みたいに魂のクオリティの低下を感じたりしない人が楽しむものだと思うけど、俺は背徳感が少し好きでたまにしてしまう。
まあお金が増えたらうれしいし、きもちくなりてえしってのが第一ではあるけど。
背徳感とここでの魂のクオリティの低下は表裏一体だ。
他に魂のクオリティを下げる行動をあげてみると
1日に2回オナニーする。
家で何も身になることをせずに1日を終える。
くそみたいな2ちゃんのまとめ記事に時間を費やす。
つまらんスマホゲームに時間を費やす。
ポイ捨てする。
路上喫煙する。
終電を逃してネカフェに泊まる。
発表とかを適当にやってお茶をにごす。
みたいな感じである。
しかし、今回魂のクオリティが下がったベクトルは今あげたのとは少しちがう。
何かと言えば、どうやら俺は最近、嘘の用事で誘いを断ったり、乗り気じゃなくなって約束をぶっちしてしまったりと人としてどうかと思う行動にでてしまうのだ。
これは非常によくないと思う。
こうして俺は友人を少しづつ失っていくのかもしれないと危機感を覚えているが、めんどくさくて、家からでたくなさすぎて、今やってることを中断したくなくて、やってしまうようだ。
最近の無気力は今までの人生で類を見ない...かもしれない。
こんなことでは魂のクオリティも下がりに下がって悪循環に陥りそうだ。
今日なんて、昨日から動いてたグループラインを一度も開かず、かかってきた電話も全て無視してしまった。最悪だ。なんて言うんだこの後。
今回はこんな懺悔。
魂のクオリティ向上に努めような!努めようと思う。
Twitterをやめている話
5年前、大学生になってからというものTwitterが大好きで毎日毎日、来る日も来る日もタイムラインを追っていた。そして、今も好き。
Twitterをやめている話とかタイトルでいっちゃってるが、完全にやめているわけではない。今も好きだから。
まあただ、つぶやいていないだけ。そう、Read Only Member ロム専になったにすぎないのだ。だって、友達のつぶやきとか気になるし、面白いのいっぱいあるからな。
ではなぜ呟くのをやめたかというと、ある日友達に僕のくそおもんないつぶやきを発掘されて、つい「うわーもう呟くのやめるわ。」と言ってしまったからだ。男に二言はない。
やめてしばらくはつぶやきたくて体がウズウズしちゃう夜もあった。
だがしかし、食べる、寝る、オナニー(セックスという代替行為で済ます人もいるらしい)以外は、人間やらなくてもいいようにできてるのだ。
しだいに僕は呟くことに興味を失ったよ。
でもまあ、文章をかく(Twitterが文章をかくに相当するか甚だ疑問だが)ということが全くないのも健全ではないとおもうので、こうしてここで今なんかしら書いている。
分量的にもう少し書いてもいいかとおもうので、なんで僕がTwitterを好きかということについて後半は書こう。
まず書き手としては、ふぁぼ(今やいいね!となってしまったが)がつくとうれしい。
渾身のつぶやきでふぁぼの通知がたくさん来た日にはもう、そりゃ。
そして人付き合いの面で、暇している人をみつけやすい、またはみつけてもらえるのがよかった。
ここまでだと割とかまってちゃんだな、僕は。
後、気になる人物の人となりにすこしだけ触れられることもいい。
コンテンツとしては、読む対象を選別できることが大きい。
2ちゃんねるやまとめサイトとかだとおもしろいことはおもしろいのだけど、面白い人が言ったことをつまらない人がつまらない人へ粗製乱造コピーを繰り返して陳腐化する流れに辟易してしまいがち。後、無駄に口が悪かったり、偉そうな人が多くて腹が立つことがある。
もちろんTwitterでも同じ流れはあるし、いわゆるクソリプみたいの飛ばす不快な人もいるけど、そういうのは大体遮断できるし、知人と興味のある人物だけフォローしておけば、おおよそ気分を害することなく楽しめる。
偉い人や芸達者な人がキャッチーな言葉で情報を発信しているので、案外見識が広がることもあるのがいいね。
ざっと書いてみたけど、こんな感じじゃないだろうか。
今日はおしまい。
早くも滞る
早くも投稿が滞ってしまった。
「よし、ブログ」を書こうと思うと、なんとなく愚痴っぽかったり、批判的な内容ばかり思いついてしまう。
「幸先から、そんなネガティブな記事は投稿したくない」
そんな思いでブログの更新がはやくも滞っていたのだ。
しかし、ただただポジティブな記事っていうのも書いてて張り合いがなかったり、面白みにかける気もしてしまうような気もしてしまう。
そもそもそんなことはfacebookにでも投稿してしまえって感じだ。絶対しないけど。
後、ネガよりでもポジよりでもないいい感じのネタがあるのだけど、磨けばもっとおもしろくかけるはずと引っ込めてしまっている。
こういうことって創作しようとすると陥りがち。
漫画でも作曲でも書き物でも何でも、いきなりうまくいくってことはない。
最初のうちは下手でも一旦最後まで完成させる。それが成長への近道。
泥団子だって何個も何個も作って、
小2の終わりには素晴らしい光沢をもった一品になった。
あれこそ試行錯誤の賜物。
そう自分に言い聞かせて、どんどん投稿を増やしていきたい今日この頃。
まあとりあえず。
開設に至った経緯はすぐ書いた。
もうちょっと滑り出しは、勢いをつけたい。
勉強だろうが、映画やアニメ鑑賞だろうが、いざやるぞって思った時のめんどくささが僕にとっては大きな障壁なんだよね。
映画の場合、「これから2時間ほど集中しなければならない」
と思うとただ指を加えて観てればいいだけなのにやっぱりいいかとやめてしまう。
これは大変よくない。
そういうわけで、ブログを書くのって適当で短くていいんですよ?
という自分自身への印象付けのためにこんな感じに軽い投稿をしておく。
だからこのへんで終わり。